■絵板LOG/薄ら暗くグダグダ系・その6■
絵板のLOGから薄ら暗くグダグダした話をより抜きました<ヤな説明だなコレ(^^;;)
 

double Dutch 2003/10/29 (Wed.)

それでも
『ただ、今あるこの否応のない現実だけが全てだ』
というのであれば、『果たされなかった約束』などと
いうモノは、それこそひたすらに『嘘』でしかないので
あろうが。

解説不能で詮索無用。そしてツッコミ不要。











 



















徒手空拳 2003/12/10 (Wed.)

『受けた苦痛や背負った苦労、味わった辛酸が、
いずれ人生における財産になる』とかいう有り難い
お説を聞くと、「そんな財産だったら要らねぇよ」と思う。



出来た傷の理由やソレを作ってしまった事から得た
教訓や反省は覚えていても、その傷自体がどんなもの
だったかをリアルに思い出したくはないし、何かを
『なくした事』の原因やソレに対する後悔は忘れられず
とも、それによって『失われたモノ』そのものや、ソレの
存在(現行では非存在)の意味については考えたくは
ない。

だからそういう事やモノは憶えておかないし、あるいは
思い出さないようにしている。

そのように、『見ないように』と心がけていると、そういう
モノは実際に見えなくなるからだ。
(あるいは非常に見えにくくなる。そして見えにくいモノ
ならば、視界にあったとしても意識をせずに済むワケで)



こうして記憶は穴だらけになったワケだが、ご高説に
よれば『財産』と呼ばれるアレやコレをその穴に投げ
捨てる日々を送りながらも、ソレはソレで視界も良く、
身軽で(概ね)快適な人生である、と言えようかと。

だが穴は依然として開いたままでソコに在るワケだし、
投げ捨てたモノも決して消えて失せたワケではない
(一時的に見えなくなっているだけ)…なので、いずれ
不法投棄のツケは払わねばならぬだろうなぁ、などと
思う昨今。



まぁ『穴が開いている事』すら忘れる程に完全に忘却
出来れば、ソレが一番楽なんだろうけどなぁ。

さて、果たしてそこまで潔くなれるかね?



渇望 2004/2/10 (Tue.)

少し前に読んだ『人は悔しさを感じた時に心の平穏を
得るため、事実を否定するか、価値を否定する』という
話に対し、濁った思考を巡らせつつ。



ソレは分かり易く言えば、『「本当なら勝ってた」とか
「まだ負けてねぇ」ってのが前者に、「負ける事にも
価値がある」とか「勝負に意味はない」ってのが後者に
あたる』という話なのだが、前者には「忘却」や「見て
見ぬふり」、後者には「諦念」や「再認識」ってのも
含まれたりするんだろうなぁとか。

渾身で伸ばす手が及ばない、腕がちぎれる程の距離。

恐らく彼らはソレを垣間見たのではなかろうかという、
まぁそんな妄想もあったりなかったり。
 








 










Individual Choice 2004/3/12 (Fri.)

『選ぶ』あるいは『選ばない』という行為に意義がある
とは限らないし、同様に『選ばれた』、『選ばれなかった』
『選び損なった』というような結果についても、それに
意味があるとは限らない。

だが人は、選択とその顛末に対してまつわる幻想
(それが何か大層なモノでなくてはならないという
思い込み、あるいは一種の脅迫観念と言い換えても
いい)を捨てられずにいて、しばしばそれについて
思い悩むのだ。



…とか何とか。
久しぶりの思考遊び。例によって絵と文は微妙に
違った観点で語られたモノであります。

私的には『選ばれた理由』よりも『選ばれなかった理由』
の方に興味を抱きがちですが、それは恐らく自分が、
行為や対象の『選択』を気分で、『非選択』を明確な
意志で決定する傾向がある事に起因している気が
したり、そうでなかったり。

「…というのを分かり易く言えば、『やりたいと感じたら
やり、そうでないと感じたらどんな理屈を付けても
やらない』とかいう事でないの?」とも取れるのですが、
『選択』が『肯定』を、『非選択』が『否定』を示唆している
のかというと、それらは(自分の中では)必ずしも等号で
結ばれてはいないという点を鑑みると、端的にそうとも
言い切れないのがミソであったりするのですが。



加えて『ネガティビティ・バイアス』の事なども思い出し
たのですが、それをこの流れに持ち込むと更に論旨が
変わってくるので、ここはあえて考慮しない方針で…
などと言ったものの、この話題への言及はここで終わり、
後はまた私的な頭蓋内での思考遊びへと還元されて
いくワケですが。そんな具合の尻切れ話です(^^;;)




























shaky ground 2004/4/8 (Thu.)

 手近にあって浮きそうなモノを
 手当たり次第に進路に投げ入れて
 頼りない仮初めの足場に据えながら
 対岸も見えぬ河のまっただ中を
 目的地も持たずにただ渡っている



「結局の所、ソレが自分のしている事なんだなぁ」と
思うと、「ソリャ立脚点どころか寄る辺もクソもねぇなぁ」
とも思う。

かといって上がる陸もないから、足を止めりゃ沈んで
死ぬし。

いや、そもそも自分から陸に上がる気がないから
こういう状況になっているのだろうと、実は自分でも
分かっちゃいるのだが。

つまり、今こうして自分が面白おかしく過ごしている
場当たり的な日常は苦行でも試練でもなく、まして
自己研鑽などという大層なモノではあり(え)はしない
のだ。



が、何気なく辺りを見渡したりした時に、うっかりと
『今までやって来た事』や『やらずに来た事』なんぞを
思い出したりしてしまうと、今、自分が『本当は何を
しているのか』をふと思い出してしまい、つい気が遠く
なってしまうワケだ。

一言でいえばそんなカンジ。一言じゃねぇし。

いや、まぁ只の散文の垂れ流しで。

ふと「『何もしない』をしてるんだよ」とかいうフレーズを
思い出したのだが…『ぼのぼの』か何かに出てきた
言葉だったっけっかな?

後はYMOの『Expecting Rivers』なイメージとか。
突き抜けてPOPなのに、何だか肝心な部分の底が
抜けているカンジ。
でもソレは『奈落』などという悲壮さではなく。



以上、久しぶりに意味不明な薄暗さを撒き散らして
みました。


 
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