■絵板LOG/薄ら暗くグダグダ系・その2■
絵板のLOGから薄ら暗くグダグダした話をより抜きました<ヤな説明だなコレ(^^;;)
 











安寧 2003/2/9 (Sun.)

目を伏せて口を閉じれば、
沈黙は大抵の事を曖昧にする。
だが『沈黙』が『無』ではないように、
『それ』は決して消えてなくなった訳ではない。



以下、いわば『妄想』に分類される『推論』 。
そんなワケで、ちょいとだらり気味にごちゃりと兄弟考。

第三者の視点からすれば一見、目を伏せている
(真実見えていない)のが兄で、口を閉じている(黙して
語らない)のが弟に見えるワケですが、当事者間の
実情をリアルに考察してみると、実は口を開いていない
(自分に信頼を寄せた肉親に対して明確な意思表示を
行っていない、もしくはその相手に納得や理解を供与
する努力を放棄している)のが兄で、目を伏せている
(何らかの決心をもって家を出た人間(しかも成人)を
実力行使で連れ戻せると信じている、もしくはそれが
出来ないと知っていてなお、その事実から意識を反らす
事で自らの行為を正当化し、かろうじて己の行動に
(後付けの)意味を持たせている)のが弟…なのでは
ないかなぁと。

コレがこの兄弟間に横たわる問題の根ではなかろうか
と思うのですが、如何?
まぁ更に『現実的』に考慮すれば、実は程度の差こそ
あれ、この手の問題というのは放置しておいても
時間が勝手に解決してくれたりする種モノであったり
するのですよな。



…というか、更にぶっちゃけて言えば、弟が兄への
執着を失った瞬間に全ての問題が『無かった事』に
なります(笑)でもソレだと『ドラマ的』には盛り上がら
ないので、物語としては面白味に欠けるよなぁと。
そして多分、『観客』はそのような安直な解決は求めて
いないのだろうなぁと思ったり。










境界線 2003/2/21 (Fri.)

【境界線・存在の座標軸 】
そんな絵。この後の文とはあまり関連がありません。
強いて言えば『境界線の話』という繋がりで。



【境界線・許容と非許容の境目 】
『可哀想っぽい仕様に作られた存在』を見た時、
その向こうに仕掛け側の過剰な作為が見えてしまうと
とたんに萎えますよ。そういうモノには「やりきれねぇなぁ」
とは思えても、同情は出来ないなぁと。

「可哀想」だの何だのいう同情心とやらは、所詮は
想像力の産物なワケですから、「そんな所まで
プロデュースされたかないよ」というのが正直な感想で。

多分、『表現される弱さや儚さ』といったモノへの
萌えと萎えの境界線は、『っぽい』と形容される部分の
匙加減で次第で決まるのではなかろうかと。



【境界線・致死量 】
匙加減といえば、オン&オフを問わず文章によく
見かける『キ○ガイテイスト』。
程が良ければ効果的なスパイスですが、過ぎると本質
そのものがガラリと塗り変わってしまうので、ある意味
『毒』よりもタチの悪い劇薬であろうかと。

あ、ちなみにコレはあくまで『テイスト』の話であり、
モノホンのキ印については、また別の問題で(笑)   









 

不在証明 2003/3/12 (Wed.)

時に、今でもそこに在るような顔をして、
失われたものが夢に現れる。
それがもう何処にもないのだという事実を思い出すのは、
いつでも必ず目が覚めた後だ。

『決定的に損なわれたもの』を。あるいはその事実を。
意識の外では認識しまいとしていた自分の姿を、
そこに明確に見る事。

それが喪失感の追体験以上に、
形容しがたく昏い気持ちを呼び起こす。



…と、まぁ結局のところは 、前だけ見てても後ろばかり
振り返るのも、同様に不健康な気がするのですよな。
前後左右を等しく視認してこその安全確認と言えよう
モノで。

…でも、振り返れば後ろは微妙に薄ら暗い底なし沼
なので、覗き過ぎると足を取られるのが難だったり…
ねぇ?(笑)

いずれにせよ肝心なのは、節度をもってバランス感覚を

維持する事だよなぁ…とかいう毎度と同じ結論で〆。



…って、ちょっと待て!(絵をよく見る)
『彼岸』が『ここ』って、死んでるよソレ!(笑死)
正解は『彼岸(そこ)と現世(ここ)』です(^^;)

ついでなのでオマケ↓
『何処』は『いずこ』と読んだり。蛇足ですが。







 


 

思えばボクも若かった 2003/3/14 (Fri.)

『何をしたらどうなるか』。

あの時それを、決して知らなかったワケでは無く。
否、知っていたつもりでやらかした、今にして思えば
無策無謀に等しいアレやソレな出来事の数々。

「戦術の失敗は戦闘では代替できない」ってのは、
けだし、最高の名言であり教訓だよなぁと。



で、現在。多少モノの見方が分かってもなお、
やっているのはその頃と代わりばえする事でもなく。

しかしその事の意味を、より深く切実に認識しながらも、
またあえてやらかしているあたりは更にタチが
悪くなった気がしなくもないので、時には多少反省して
みたり<だが改善はされないので、馬の耳に念仏を
聞かせている方が建設的なカンジで。



ソリャそうと、いまだに過去の遺産の恩恵に与ったり、
今でも過去の負債を払い続けてたり、そんなんばっかりで
人生やってるってのもたいがい自転車操業っぽくて
あんまりな話だよなぁ…とか思ったり。

…いや、解説もオチもありませんよ?(^^;;)






 




 

表裏一体 2003/3/20 (Thu.)

あ〜…ヘッドホン描き忘れてる。
そして相変わらず士朗を描くのは難しい…。



目に見えない物を重要視し、目に見える物を軽視する。
あるいはその逆。

価値観の天秤がどちらかに偏ってしまう時期というのが
(まぁ他人事ではなく)人生の中ではあるわけですが、
実際の所、それらは等しく重要であり、等しく無為な
ものでもあったりするのです…という曖昧な価値観も
あったりね。

消えて無くなる儚いものにはそれゆえの味わいもあり、
形だけのモノにだって『様式美』なる美しさがあるのです。
社会的な信用を得るためには誓約も必要でしょうし、
保身のためには相手の言質を取らねばならぬ事も
あるでしょうよ、と。

『確かなもの』はあれば良いなぁと思いますが、世には
『あるべき』ものはなく、単に『あるものがある』だけ
だったりするワケで。

…まぁ何つ〜かね、例え心が変わっても、その事が
過去を否定する事になるワケでも、自分を裏切った事に
なるワケでもないんだよと?

…って、何だか中途半端でいびつな人生相談の回答の
ようだなコレは(^^;;)


 
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